ご挨拶

株式会社 FON 元気ライフサロン 代表 川口しょう子
高齢社会を憂い、参院選に立候補。講演活動やボランティアなどの過労から自身が大病をし、それがきっかけで低周波電気療法(現・血流改善法)と出会う。自身の体を通し、筋肉、神経、リンパに沿った通電法を考案。
一人ひとりの症状に合わせた完全オーダーメイドの施術で、18年間で、のべ20万人以上の臨床例をもち、健康と美容、予防医学の発展に尽力している。
趣味はゴルフ、社交ダンスと写真。

おかげさまで19周年

いつも元気サロンをご支援頂きましてありがとうございます。皆様のおかげで18周年を迎えることができましたことを、心から感謝御礼申し上げます。

平成8年1月15日オープンなのですがあっという間のような、又ずっと前からやってきたような気持ちです。今は、こんなに元気いっぱいですが、実は20年前私は、高齢社会に憂いを感じ、生活の中の無駄をなくし限りある資源を子供たちに残そうと、娘を協力者として参院選に立ちました。早朝と夕方は駅に立ち、昼は一軒一軒たずねては訴えて歩きました。同時に講演活動にも力を入れ、近所の主婦の口コミで、町内の婦人部、青年団、PTA等に呼んでいただいたり、ライオンズクラブからも声がかかるようになりました。そんな時、阪神大震災があり飛んでいきました。役所に行き、ボランティアを希望するのですが、役所はパニック状態で何も指示が出ないので、避難場所の地図をもらい、学校や公民館、保育園などのトイレ掃除を毎日させてもらいました。

満身創痍で眠れなかった20年前

毎日が夢中でした。朝から晩までおにぎりを持ち、睡眠3時間~4時間で1年半。結果はどんなに頑張ってもどうにもならない大きな壁を感じて終わりました。体も動かなくなっていました。極度の疲労とストレスによる、緑内障、リウマチ、椎間板ヘルニアから来る坐骨神経痛で、家の中もゴルフのパターを杖にしないと歩けない状態でした。寝ていても、血圧が下がらず頭痛と吐き気がひどく、検査の結果は、脳疾患の恐れがあるので安静にというのです。なぜ私がこうなるの? 一切のカンパも断り、ひたすら純粋に手弁当で頑張り、それよりも人のためになると思ったのになぜ?リウマチの手が痛むたびに世の中を恨みました。又、今夜眠ったら明日の朝、視野がなくなって何も見えなくなったらどうしよう…そう思うと怖くて眠れない日が度々でした。

応援してくれた人たちも病気でした

その頃、私を応援してくれた人たちも病気でした。1人は腎炎で即入院と診断。でも知的障害のお嬢さんがいるために自宅療養で、ムーンフェースがすごい。と聞きました。もう1人は子供の時、股関節の手術をしたのですが、足を使いすぎた為に、再び手術すべきか悩んでいるというのです。私は申し訳なくて、目が見えるうちにせめてお礼状だけでも書いて送ろうと思い、ペンを取りました。9月でした。お向かいの垣根からこぼれるように萩の花が見えます。それを見ながら「萩の花が咲いています…」と一行書くのですが後は涙で書けません。申し訳なさと自分の情けなさで、便箋が濡れてしまうのです。一枚書いては濡れて又一枚…あぁ、もう今日はやめよう…とそんな時「せきずい活性療法」に出会いました。

人のために役立ち、私も生かされる

もう一度元気になりたい。治りたいと思いました。そして病気と向き合ってばかりいてもだめだ。病気は横において一緒に走ろう! 人の役に立てばきっと私は生かされる。自分も元気になれる。この仕事なら高齢社会の役に立ち、自分が決めたことに嘘をつかずにすむ。そう思い「神様、どうぞもう一度健康にして下さい。きっと人のために働きます。どんなに辛くとも逃げません。」サンちゃんである太陽に誓いました。そして、家族の反対を押しきり、20年間はやる!と決めて、平成8年1月15日成人式の日、綱島にオ-プンしました。

サロンオープン、そして苦労の日々

始めは電話の一本も無く、ひたすら自分の治療をしていました。お客様が通ってくれるようになり、その中に中田幸子さんがいました。少しずつですがお客様が増え、1人では間に合わなくなってきました。でも治療費が1時間1875円でスタートした為、人件費がなく中田さんにお願いをしました。「今の私には、お給料を払う力がありません。でも必ず払えるように頑張ますから、ボランティアとして手伝ってくれませんか…」中田さんは気持ち良く引き受けてくれました。中田さんに助けてもらったお陰で今があります。

熱心に通ってくださる方たちの中にNECの、テニスの実業団で山田健一先生。キャノンの、部長 中島一浩先生。このお二人にはどれほど助けていただいたか判りません。どうしたら元気サロンの、せきずい活性法を世に認知してもらえるかということで、自律神経と内分泌、自律神経と免疫の働き、治癒事例、治療結果の個人データなど、又、予防医学として何が必要か。サロン内に目で見て判る医療資料など。常に治療の合間をぬってはお二人がアドバイスして下さいました。今、サロンにあるいろいろな印刷物は、中島先生からPCを教えていただいたお陰です。

お客様に喜ばれるサロンを目指して

マイサロンとして通ってくださる方たちに、何をしたら喜んでいただけるか。元気サロンとして、皆様のお役に立つにはどうしたら…とみんなで相談した結果、隔月で「感謝デー」と銘打ち”健康”をテーマに勉強会を始めました。第1回目の時です。「それなら僕も力になるよ」と病院の超音波の先生が言ってくれました。彼は、長年ムチウチに悩んでいたのが完治したので、お礼に「感謝デー」参加者の希望者に、無料でエコー検査をして下さるというのです。なんと参加者65名全員が検査していただきました。

ボランティア活動と運命の出会い

同時に、私はボランティア講演を始めました。呼ばれると、どこへでも出かけていったある日、ボランティア治療の依頼があり、温蔵庫やリクライニングなどトラック2台で運び、一日70人ほどボランティアをさせていただきました。その時私の所に、”腰痛”といって座られた方が、魚菜学園の伊藤松夫先生でした。そして通ってくださりすっかり良くなられた1年後、この魚菜学園の2階をテナントとしてお世話していただきました。

果たして自由が丘で出来るのかしら…?不安でいた時、田中 裕さんからのご紹介で野間貴子さんがおいでになりました。そして沢山の方々をご紹介頂き、更にそのお友達の方々から輪が広がっていきました。私は、綱島と自由が丘を行き来するうち2年が経ち、契約更新。サインをしている時、4階が空くことを知り、その場でお借りすることにしました。綱島サロンを魚菜ビルの2階に移転し、2階はそのまま4階に移しました。さらに2年が経ち、2階と4階とを行き来しているうち、そうだ4階を広くしてひとつにしたらおいでになる皆さんに会える・・・そう思い、4階の奥のスタッフルームや事務所を外にお借りして4階をリニューアル。現在に至っています。

これからも一生懸命勉強し、努力し頑張ってまいります

何も出来なかった私が、沢山の方たちに守られ応援をいただいて、19周年を迎えることが出来ました。綱島時代から通ってくださる皆さん。又、自由が丘の皆さん本当にありがとうございます。天職を授けていただいたことに感謝致します。これからも一生懸命勉強し、努力し頑張ってまいります。スタッフともどもよろしくお願い申し上げます。

平成27年1月吉日  川口 しょう子